礼服

 伯父が肺がんで亡くなった。昔はニコチン・タールの含有量が高いタバコばかりだったので、
死因が肺がんってのは少なくない。
 自分も年を取ったというのを実感するのは、礼服を着る機会が増えたって事。
子供の頃には一緒に出掛けたりする機会も多かったが、
自分が家庭を持ってからは、殆ど顔を会わせる事もなく、年賀状の挨拶程度でしかなかった。
だから、悲しみも浅いと言ったら失礼だが、これも時の移ろいと受け入れるのは難しくはない。
父が脳梗塞で半身不随、母が認知症で施設で暮らしているので、
私が代表で葬儀に参列したのだが、同い年のいとこの変わり果てた姿に唖然とした。
腎臓を患って人工透析を受けないと生活出来ない体なのだが、
その透析の際に足元がフラ付いて足を骨折してしまい、
車椅子で佇むのを見て、不安になったのは言うまでもない。
伯母も高齢なので、再び親族が集う日が遠くないのは明らかだが、
残された家族の前途が多難なのも疑いようがない。
「人は いつか 死ぬ」まさにそれを思い知らされるのが、葬儀なのだ。
死への恐怖を感じずにはいられない。
しかし、自分より年上の方々が気丈に振る舞っているのを見ると、
「俺なんて、まだまだじゃないか…」と思えて来る。

♪明日と言う日は明るい日と書くのさ