寂れた街並

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 小学校の通学路。私が徒歩で通った国道沿いには、
商店街と呼ぶに相応しいくらい、色んな店が並んでいました。
 しかし、自動車が普及して18歳で免許を取るのが当たり前のようになり、
昔ながらの駐車場がない店舗は、客足が遠のき閉店してしまい、
残っているのは、製菓店(2)酒屋(2)自転車店(2)レストラン(1)京染店(1)時計店(2)種苗店(1)
理容店(1)くらい。
 夏祭りの時なんて、街道は盛り上がる筈もないのですが、
神社の境内はトイレが整備されたりして便利になっているから、
そこだけに人が集中してしまう。
 小学校の校舎も、耐震強度の見直しで、かなり補強工事が施されており、
姿が変わっている。体育館なんて、外壁を全部外して鉄骨だけを残し、
新素材の外壁に交換されてるし。
まァ、体育館は4年生の3学期に出来たので、それほど感慨深くもない。
しかし、プールは6年生の1学期終わりに完成し、
真っさらで水面がキラキラ光る状態が記憶にあったから、
錆だらけのプールサイドにはガッカリ。
それを言い出すと、2年生の2学期途中で鉄筋校舎に移転した訳で、
木造校舎の解体と呼応するかのように、記憶が薄れて行った気がする。
2年生の担任は、若い女の先生だったけど、
「板橋」という姓しか思い出せない。
 
 そんな中でも憶えているのが、
「青い目をした人形」木造校舎の頃は、
人目に付かないようにヒッソリと置かれていたのだけど、
鉄筋校舎になってからは、ショーケースに入れて飾られていた。
他の人形は太平洋戦争を境に焼却処分されたらしいが、
この小学校の特殊な環境故に、保存しても咎められなかったのだろう。

 思い返すと、
①校歌が存在しない(私の祖母も通った歴史ある学校なのに)
②「蛍の光」「君が代」を音楽で教えない。

 合唱で歌った曲は、今でもフレーズが残っている。



このアレンジじゃないんですけど…。
小学生に、このメロディーラインは無理ですよ。

あの頃5段だった校庭の階段も、土を盛り続けた影響で3段になってた。
何か切ない気持ちになりました。