私は思春期に洒落にならない苛めを受けていました。
しかし、自死が選択肢とはなりませんでした。
正直、少年法が適用され、初犯であれば「未成年故の情状酌量の余地あり」
と言う事を知っていたら、確実に主犯格を殺めていたと思います。
しかし、仮に「そいつ」を消し去っていたとしても、
社会的制裁は受けていたでしょうし、今となっては人の道を踏み外す事無く
生きて来れた事を誇りに思います。
その主犯格も因果応報と言えるくらいの重い業を背負わされていますから、
「世の中に 悪の栄えたためしなし」
私が、孤立無援状態で心の支えになっていたのは何だったのだろうかと、
最近考えてみたところ、ラジオとアイドルに夢中になってたからだと。
友達が存在しなかったので、只々一人でのめり込むだけだったが、
むしろ干渉されないのが幸運だったのだ。
今では、自分を脅かすような存在は居ないし、
幾多の経験から対策も容易いので、困る事も無い。
これが、「年を重ねる」という事なのだろう。
毎日が楽しいとは言わないが、自分を殺して生きる事も無い。
あの一年間は修行と言うか、苦行だったのでしょう。
感情を表に出さないという、ある意味、鎧を纏ってしまった。
そりゃあれだけ自分の存在を全否定されたら、鋼の鎧を纏うしかないわ。